あの日の夕陽

あの日の夕陽をもう一度見たい

 どうも、この1年のストレスが溜まってきているらしい。時々、大声を出したくなっていた。まさかこの年になって10代の頃のような気分になるとは露ほども考えていなかった。この年で理性が効かなくなったら、自分で自分を持て余すだけでなく、周囲も手が付けられなくなるだろう。

 

コロナが出現し始めた頃から、少々無理をしてやっていたことがあって思い切ってそれをやめたら、気が楽になった。コロナが落ち着くまでは、自分がやりたくないことをやらなくて済むなら無理をしてやる必要はないと思った。コロナのことだけでもかなりのストレスがかかっているのだから。

 

 ところで、電車の窓が開かなくなったのはいつからだろう?

いや、開けることができるのに誰も開けなくなった。

いつからだろう?

 

昔の電車は、空調設備がなかった。

冬以外は窓が開いていた。

周囲への配慮をしつつ誰でも自由に開けることができた。

真夏は窓を全開。窓から入ってくる風が心地よかった。

天井に取り付けられた扇風機もフル回転。

乗客のほとんどが扇子を使っていた。

冬は、座席下に温熱ヒーターがあっただけだった。

足元がぜんぜん暖かくない座席があった。

あれは、ヒーターが壊れていたのだろうか。

北の地方には、ストーブ列車があったが今も現役だろうか。

 

夏は、開けた窓から巨大な蛾などの虫が飛び込んできたりする。

たまに蝶々やトンボなども乗車してきた。

春は、電車が通る時に散らした桜の花弁が窓からヒラヒラと車内に舞ってなかなか風情があった。

 

昔の電車は、まさに今のコロナ禍にピッタリだったと思っていたら、去年の春過ぎに鉄道会社が窓を開けるようになったと聞き原点回帰したかと思った。

 

住居も冬以外は窓が開けられていた家が多かった。

意識せずとも新鮮な空気を取り込んでいたわけだ。

今は、防犯上の問題があるので同じようにはできない。

それに、これからの季節は、花粉や黄砂、PM2.5などが入ってきてしまう。

そこで、電気の力を借りて新鮮な空気を取り込むことになる。

光熱費もかかってしまう。

これって、ますます地球環境に負荷をかけている気がする。

何のために窓があるのか?

外の空気を取り入れるにも一苦労する住宅事情だ。

 

昔なら、窓を開ければ事足りたのに手間がかかる。

なんとも不自由なことだ。

 

窓を開けるという行為は換気の意味もあるが、それよりも、人にとっては、気分を変えるための日常的に必要な行為だと思う。

 

窓を開けると気分が清々しくなる。

 

細かいことだが些細なことができなくなっている積み重ねの結果が、生き辛さを生んでいる気がする。

 

 

 

ささやかなレジスタンス

 気温が上がった土曜日の数日前からベランダに野鳥がやってくるようになった。我が家のベランダには暖かくなるともっといろんな鳥が来ていた。

 

その理由は、ベランダにたくさんの植物があったから。野菜も栽培していた。ほうれん草なんかは野鳥に人気で、ある年は人間の食べる分まで持って行かれた。悔しかったけど、野鳥との駆け引きも楽しみのひとつだった。

 

でも、台風の威力が増してきたので危険だと思い数年前に栽培していた植物をすべて撤去処分した。この同時期に自治会から野鳥のフンの被害があるので餌付けは止めて下さいとのお知らせがあった。わざわざ誰かが餌付けしていたらしい。私のは餌付けになるのだろうか???と思った。

 

苦情を言われる前に撤去して良かったと胸をなでおろしたけど、なんだか世知辛いとも感じて悲しくなった。

 

楽しみを奪われていく感覚があった。

 

そんな時に襲ってきたコロナ。

趣味の方でもすごく嫌なことがあって一時期は辞めようかと思った。

どこへ行くにもマスク。

手洗い、消毒が付き纏う日々。

密になるな。

不要不急の外出はしない。

くだらない、暗いニュースが多い。

ワクチンもどうなんだか。

 

真綿で首を絞められている感覚。

社会的責任を優先することによる個人に課される自己犠牲。

One for allへの比重が重い。

All for oneは比重が軽くなっている。

 

バカバカしい。

愚かしい。

全部消えてなくなれ!

 

戦争と同じだ。

今は、それとは事情が違う有事だと理解はしているが。

 

堪え難きを耐え忍び難きを忍ぶ。

挫けそうになる自分との闘いだと強く思う日々。

 

箍が外れれば自分が終わるのだ。

 

文句を言うのではなく、投げやりになるのではなく、自分がやるべきことをどんな形でもやり続けるしかない。

 

私の状況などは比べ物にはならないが、戦場でただひたすらにピアノを弾き続けたピアニストの気持ちが少し分かる。

 

あれは、ささやかなレジスタンスだったのだ。

 

 

バージョンアップできなくなれば引退だ

 年を取れば時代からズレていく。このことは、還暦前の私も自覚している。90近い親を見ていたらもっと強い実感として自分に迫ってくる。親に認知症はない。

 

この間は、実家の公共料金のおまとめのことですったもんだした。

 

まず、電力、ガスの自由化がどういうことか分っていない。まとめれば単に安くなるというだけの理由で契約してしまったようだ。契約後に毎月送られてくる請求書兼領収書が封書で2通届くことに困惑している。まあ、確かに嵩高くファイルする時に困ると思った。内訳の見方も分からず何が安くなっているのかも分からない。契約時に請求書兼領収書がどうなるか確認したのかと尋ねたら、そんなことを聞かなければいけないとは気付かなかったと酷く自己嫌悪に陥る。気付いてほしい慎重になってほしいと思っても不安にさせてしまうだけだからうかつに話せない。

 

出来なくないことが増えているのに、未だに50代くらいの気分のまま。自分がやったことの後始末をどうすればいいか分からずオタオタしていつまでも解決できないままなのだ。手に負えない。

 

今の高齢者は「タダ、安い、お得」の三つの言葉にすぐに釣られる。高齢者の方が「タダほど高い物はない」という言葉をよく知っていて使ってもいたはずなのに、教訓となることも忘れてしまうらしい。

 

ひと口に高齢者と言っても、思考力、判断力、身体機能の状態は千差万別。高齢者と一括りに考えてはいけない。100歳でも判断力思考力ともしっかりしている高齢者もいれば、私の母親のように身体の衰えは言うまでもなく思考力と判断力の低下が激しい人もいて、すべての高齢者が時代とズレているとは言えない。でも、往々にしてこうなっていくものなのだ。

 

私はちょうど若者と高齢者の境界線の年齢にいるので、若い人の考えも高齢者が不用意な言動をとる理由もどちらもよく分かる。だから、森さんと竹下さんのことをお気の毒だとも思う。このことは、若い人にも理解しておいてもらったうえで批判なり注意なりして頂きたいと考えているが、公の職に就く人は社会への影響力があるのでこのことを言い訳にしてはいけないと思う。

 

人生が長くなればなるほど、過去の知識や経験で培われた「自分理論」のような考えが完成されてしまって考え方を容易く変えることができないと聞いたことがある。だから「昔の常識」に縛られてどんどん時代とズレていくのだろう。私もこのことは実感しつつある年齢で誰にでも起きることだと思っている。年を取ればみんなこうなって行くということも若い人の頭の片隅に置いておいてもらいたいと思っている。森さん、竹下さんが国民から批判される発言をしたことは、決して他人事ではなく明日は我が身のことなのだ。

 

若者叱るな自分来た道。

年寄り笑うないつか行く道。

 

周囲との摩擦が生じ批判されることが多いのはなぜだろう?仕事でも家庭内でも以前のように上手くいかないのはなぜだろう?と感じ始めたら、それは、自分が年を取り時代とズレてきていると自覚した方がいいのかもしれない。

 

時々「自分が持っている情報を更新する」「自分をバージョンアップする」という言葉をよく聞くが、これができなくなってきたら誰でも隠居すべきなのだ。

 

私の頭の中のメモリも60年近く使ってきたせいで容量がパンパンになってきていて、更新がスムーズにできなくなってきている。森さんや竹下さんのことを批判しつつもどこかで他人事ではないと危機感を抱く今日この頃なのである。

 

 

年寄りの役割を考えた

 島根県丸山知事が、オリンピック聖火リレーを中止するという発言に対して、自民党の元総務会長竹下氏が「注意する」と発言したニュースを聞いた時、注意するとはどういうことだ?と思った。

 

上から目線ともとれるこの発言に違和感を感じたのは私だけではなく、Twitterでは各社がTwitterに挙げているこのニュースのコメント欄にズラッと批判が並んでいる。

 

島根県知事が仰っている内容は、至極ご尤もなことだ。緊急事態宣言下にない県であっても感染対策を継続しなければいけない状況がある。でも、そのための補助金は宣言下にないため全部地方自治体の持ち出しになる。聖火リレーに使う費用を感染対策に使いたいと考えるのは無理もないことだ。県知事は県民の命と生活を守ることが責務だから中止発言は理解できる。

 

どういう考えから「注意する」と言えたのだろう?と、竹下氏のプロフィールを見たら、島根県出身と知り県知事を注意すると言ったのは、県知事の先輩という意識から出たのかもしれないと思った。しかし、余計に分からなくなった。竹下氏は自分の出身地で感染拡大することが心配ではないのだろうか?

 

いずれにしても、こういった発言が議員から出る理由は、東京一極集中だからだと思う。前々から感じていたことだけれど、地方に住む人は東京ほど五輪開催で盛り上がっていないと思う。温度差があると思う。そんな肌感覚の現状を敏感に察知できる人が政治の中枢にいないということなのだろうか?

 

それに、兼ねてから地方分権地方自治を推進していることにも逆行する発言だと思った。オリンピックを日本全体で盛り上げなければいけないと中央が言えばみんなそれに従えという考えならば地方のことは地方でなどと言うなと思う。地方のことも国が全部責任を負えばいい。

 

「感染が拡大していない一番遠い地方からの発言に他の知事が付いてくるとは思えない。」と竹下氏は仰っておられたが、知事が付いてこなくても国民が付いてきている。こういった世の移り変わりを理解せず、時代の風を読まれていないのだろう。

 

この辺りの年齢になったら、不安や心配があっても最前線のことは若い人に任せるべきだと還暦前の私は反面教師にさせて頂いている。

 

年寄りは、若い人が万策尽きて困り果てた時に手を差し伸べればそれでいい。

それが、年寄りの役割だ。

 

昔のお写真を拝見して竹下氏も年を取られたと思う。先般の森氏と同じだと思う。

 

それと、長い間、中央でお働きになられていたせいでご自分の出身地のことをお忘れになられたかとも思った。

 

 

 

探し続けていること

      ~罪滅ぼしとせめてものはなむけにこの日記を書く~

 

 今、どうしても話をしたい人がいる。

 

幼馴染だ。

 

付き合っていた人との交際を家族の歪んだ偏見で、否定と侮辱の言葉を浴びせられ仲を切り裂かれ心を病み心を病んだことで身体まで壊してしまった。

 

私が結婚し子育てに忙しい日々を過ごしている時に、彼女が苦しみの真っ只中に身を置いていることを知らなかった。彼女は仕事を頑張っているとばかり思い込んでいた。子育てが一段落つき時間にゆとりができたら真っ先に連絡をして、お互いの今までのことを語り合いたい、彼女の仕事ぶりを知りたいと独りよがりなことを考えていた。

 

そんなことを考えていた十数年後に、彼女から連絡があり会うことになった。この時、私の方が大きな悩みを抱えていた。彼女になら聞いてもらえると期待して出かけた。しかし、10代の頃とは様変わりした彼女の様子にショックを受けた。逆に話を聞くことになってしまった。付き合っていた人との仲を引き裂かれただけでなく彼女への人格否定と言える酷い言葉を家族から浴びせられたことを聞いた。心を病んだ彼女は家族の意のままに入退院を繰り返していた。そんな中、体調が良くなり退院して私に連絡をくれたのだった。

 

彼女は、私に助けを求めていたと思う。

しかし、私は話の内容に尻込みをしてしまった。

家族内のことにそうそう簡単に口出しできない。

今の私には人を助ける余裕がない。

そう考えてしまった。

私は暖かい言葉ひとつかけられない冷たい友人になってしまった。

 

その数年後に訃報が届いた。

久しぶりに会った後で長期の入院生活になり病死した。

42歳の若さだった。

葬儀に参列して最後まで自分の家族から理解してもらえることがなかったのだと分かった。

 

彼女の苦しみを理解するだけの時間的ゆとりも心のゆとりもなかった自分のあの時の状況を恨みひどく後悔した。

 

朝起きると自分の意志とは裏腹に一日中涙が滴り落ちる日々が続いた。

 

小学生の時に、私は何度か彼女に助けられている。

彼女は私と違って頭が良かった。

でも、私は彼女を助けられなかった。

それどころか冷たくあしらってしまった。

 

彼女との一番の思い出は、小学校の卒業記念に担任教師がクラス全員での記念ハイキングを提案して日曜日に山へ出かけたことだった。当時は卒業記念の遠足や旅行など誰もやっていなかった時代だったので担任の提案は画期的だったと思う。

 

太古の昔は火を噴いていた小さな山の頂上で、クラスメイト達は思い思いに遊んでいた。私と幼馴染は噴火口後の擂鉢状になった斜面の縁に突き出ていた岩に並んで座り話をした。西の空に輝く太陽が私たち二人を照らしていた。太陽が西の空に沈み始めた時刻に夕日がきれいね。とお互いが夕陽を褒めた時から黙って茜色に染まってゆく空を二人で眺め続けていた。

 

幼馴染のことを思い出す時、必ずあの時の夕陽の美しさを思い出す。

途中から何も話さなくなったけど心が通い合っていた。

この時、彼女となら何十年会わなくても何でも話せると直感していた。

 

きれいな夕陽を眺めながらいろんなことを話したかった。私がなんとか彼女の力になって元気になった彼女と12歳のあの時のように話をしたかった。

 

そして、優しい言葉をかけられなかったことを謝りたい。ごめんねと言って、苦しかったね、でも頑張ったねと今度は私が彼女の背中をさすってあげたい。

そして、聞いてみたいのだ。

温暖化のこと、コロナのこと、私たちが子供だった時代とは人の心も様変わりし窮屈で世知辛くなった今の世をどう見ているか、どう感じているかを。

 

頭が良かった彼女は、私が気付かないことを話してくれるに違いない。

 

私は、彼女ならきっとこう言うだろうという言葉をひとりで探し続けている。

 

 

 

旧暦で季節を読む

 先週の土曜日に地震があった。東北地方太平洋沖地震(通称・東日本大震災)から10年目を目前にして起きた同地での地震。揺れは兵庫県南部地震(通称・阪神淡路大震災)と同程度の震度6強だった。

 

その後は、爆弾低気圧がやってきて今は真冬に逆戻りである。

 

春のような陽気が続いたかと思ったら気温の急降下で体調管理が難しい。激しい気温の乱高下は、鉄筋コンクリートの建物にも影響があるのでは?と、不安になってくる。

 

近年の気候は自然の摂理が崩壊していると感じている。しかし、温暖化による自然環境の急変が叫ばれるようになって以降のここ10年20年でも、本格的な春が来るのはやはり彼岸が来てからというのが私の体感だ。

 

彼岸までに何度か春のような日が続いたとしても必ず冷え込む日に戻る。こういう時の陽気はフェイクの春だと考えてダウンジャケットなどを慌てて片付けたりしない。冬の衣類の片付けは彼岸が過ぎてからと決めている。

 

「暑さ寒さも彼岸まで」と日本で昔から言われていることは、どうやら変わっていないようだ。

 

彼岸が過ぎないと日本に本当の春はやって来ないのだ。

 

土曜日に地震が起きる数時間前の昼過ぎにポカポカ陽気に誘われて少し散歩をしたのだが、林の中でジョウビタキに出会った。ジョウビタキは日本では冬にやってくる鳥だ。春になれば北の国へ帰って行く。ジョウビタキがいるということは、まだまだ冬なのだと思った。

 

旧暦だと今日2月17日は2月6日になるようだ。奈良の東大寺二月堂の修二会は、今年は3月12日だが旧暦では2月29日となる。この1週間後くらいの旧暦3月8日あたりに春分の日が来る。まさに、修二会は春を呼ぶ行事だと言える。

 

旧暦で季節を読むと自然と人の暮らしの関係性がよく分かる。

 

温暖化を食い止めたいなら、人は自然の理に従い暮らすべきだと思う。

 

 

 

恐ろしい話し

 NHKスペシャルで「2030未来への分岐点」と題し「食糧危機」をテーマに放送していた番組を見た。

 

フードロスのこと、飢餓に苦しむ人々のことなどが取り上げられていた。既に作物が取れなくなっている地域が地球上でいくつもあることを知った。

 

地球は人類を養えなくなってきている。

2030年までに世界の食糧供給システムの大転換をしないと食糧危機が来る。

専門家たちは口を揃えインタビューで同じことを答えていた。

 

民間団体が、廃棄寸前の食品を買い取り食に困っている人々に分配する明るい動きなども紹介していた。日本国内でも食に困っている人へ余った食材を分配している民間団体やNPOがあるが、この程度の活動では世界に迫る食糧危機を回避できない事態になってしまっているようだ。

 

また、別の番組では作物を育てることができる「土」が開発などで地球上からなくなりつつあることも知った。食糧問題は地球環境問題と密接に繋がっている。

 

私が感じている以上の危機的状況にショックを受けた。中高生の頃に、地球環境の変化や人口増加が食糧危機を招くと専門家や有識者といった方々が時折メディアを通じて指摘していたことを思い出した。あれからもう少しで半世紀になる。人類はこの重大問題を50年間放ったらかしだったのだと暗い気分になった。

 

 日本は多くの食材を輸入に頼っている。もし、作物が収穫できない事態が起き食材や食料を輸入できなくなれば、自給率が低い日本は直ちに飢えと直面する。

 

今は、世界中で飲食業が悲鳴を上げている。生活が立ち行かない。自殺者も出ている。しかし、世界中の飲食業はコロナまではこの世の春を謳歌し「消費期限切れ」を理由に膨大な食品を捨ててきた。今は、コロナのせいで売れなくなった作物や食材をネットなどで販売されているが全部を補えてはいないだろう。廃棄されている食材や食品もあるはずだ。そんな現実がある一方で世界には飢餓に苦しむ人々がいる。連作で土地が痩せたり地下水がなくなり作物の収穫が望めなくなった土地がある。このふたつの事実を考えると私達はなんと傲慢な食生活を送っているのだろうと恥ずかしくなった。

 

コロナのせいで窮地に立たされている飲食業や観光業。

先進国で捨てられているまだ食べることができる膨大な食品。

その日の食べ物にも事欠く生活を強いられている多くの人々が地球上にいる事実。

 

世界は歪んでいる。

 

 専門家たちが危機回避の分岐点だとするのが2030年。

これが番組のタイトルになっている。

後、10年。

10年後と言えば、アメリカのエモリー大学の研究所がコロナ終息の時を10年後と分析した年でもある。

 

コロナが終息したとホッとするのも束の間、次は食糧危機が来るのか?

もしかしたら私達は、終末を生きているのかもしれない。

 

番組を見てコロナをチャンス捉え「食べること」の根源的な意味を真剣に考え、食の在り方を問い直す必要があると思った。

 

コロナと食品ロスと食糧危機と地球環境は繋がっているのだ。

今の世界はすべてが捻じれたまま繋がっている。

恐ろしい話しだが、飢餓は対岸の火事ではなく足元に火が点きそうなところにまで来ていると考えた方が良さそうだ。